序章 さくら色の魔女神シリス
「シリスちゃん、今日も可愛いねぇ〜」
「ありがとー!ドニーさん。でも、お尻触るのはやめてね、あたいのお尻はダーリンのためにとってあるから」
「連れないねぇ〜。あんな甲斐性無しの何処が良いんだい?」
「それはねぇ〜、あたいを救い出してくれた王子様なのぉ」
「だってよぉ、リグレット!良いねぇ、こんな可愛い子ちゃんに言い寄られて」
ドニーは酒場の看板娘、シリスとの仲をからかう。
からかわれたリグレットは隅でチビチビと熱燗を口に運んでいるが、相手にしていない。
まるで、自分とは無関係だとでも言いたいかのような態度だ。
リグレット・ギルティー――かつて恋人に裏切られ、一族や友人達を皆殺しにされた男だ。
魔女神(まじょがみ)――神のごとき力を持つ魔女の総称。
魔女神は全員が元、人間だ。
魔法円の中で下着姿の女が、百人の人間の生き肝を食べる事で、色の異能を身につける魔女神となる。
リグレットと結婚を誓ったアエリスは結婚式に参加した彼の親族、友人全ての生き肝を喰らい、その時、身につけていた下着の色から紫の魔女神と呼ばれるようになった。
愛していた女の最悪の裏切りを知り、彼は絶望した。
一人、いい気になって、サプライズとして、防音設備のついたウェディングケーキの下にずっと隠れていた。
その間に、花嫁だったアエリスは出席者全員に強力な眠り薬の入った飲料水を配り、眠らせて、生き肝を抜き取りそれを口に運んだ。
いっこうに合図が来ない事に業を煮やしたリグレットが見たのは地獄絵図。
自分の親族、友人達の惨たらしい死に様と、その生き肝をウットリしながら食べているアエリスの姿を見た時、彼は自分のバカさ加減が許せなくなった。
こんな残忍な魔女の本性すら見抜けず、浮かれて結婚まで考え、親族を仲間を殺されてしまった。
慟哭し、動けずに居る彼に、アエリスはキスをした。
契約の口づけだ。
これにより、リグレットは紫の従属となる。
紫の魔女神、アエリスの眷属となり、アエリスの加護を受ける立場となった。
そのため、リグレットのどのような力でも主であるアエリスを傷つける事は叶わなくなった。
復讐したくても、できない。
死にたくても、死が許されない。
従属者となったリグレットはアエリスの許可無く自殺する事もできなくなっていたのだ。
かつて愛した女は憎んでも憎みきれない程の憎悪の対象となった。
リグレットにとってこれ以上の苦しみは無かった。
まさに生き地獄だった。
そんな絶望と共に生きていた彼はとある少女と出会った。
茶色の魔女神マリスの配下に捕まっていたシリスだ。
彼女は特殊な環境で育ち、さくら色の魔女神となりかけていた。
彼女の父親が娘であるシリスを溺愛していて、彼女を美しい姿のまま、永遠に生かしておきたかった父親が、彼女の代わりに、九九名を惨殺、その生き肝を無理矢理、嫌がるシリスの口に押し込んだ。
そして、百名目となる彼女の父親自身の生き肝をシリスは拒絶し、彼女は魔女神になりかけの中途半端な存在となった。
だが、それは他の魔女神達にとっては格好のエサと同じだった。
魔女神は他の魔女神を倒す事により、力をより増大させる事ができる。
魔女神になる前の状態は力が使えないので、捕らえてから魔女神として覚醒刺せれば労せず、彼女を倒す事ができるのだ。
ただし、魔女神同士は戦う事ができない。
つまり、魔女神は魔女神を倒せないので、倒す時は魔女神の眷属にさせる。
そのため、茶色の魔女神マリスは自身の眷属に彼女を捕らえさせて彼女を桜色の魔女神として覚醒させ、さらに殺害させようとしていたのだ。
だが、捕まりはしたが、シリスも抵抗していた。
彼女は桜色のランジェリーの上に水玉模様のランジェリーを重ね着していた。
それによって、彼女は封印状態となり、マリスの眷属にも手を出せないようになっていたのだ。
この状態のまま、無理矢理、生き肝を押し込んでも彼女は桜色の魔女神にはならないのだ。
無理矢理、脱がしても意味は無く、あくまでも彼女の意思で桜色のランジェリー一組みにならないかぎり、彼女は桜色の魔女神として覚醒する事はないのだ。
そのため、囚われの立場だったのだが、ある事情からリグレットはシリスを救い出す事になった。
それはマリスの眷属にからかわれたのが原因だった。
憎悪を向ける相手に完全支配されている情けない男――
その事をからかわれた時、リグレットの中の何かがぶちギレた。
そして、売られた喧嘩を買ったかの様に、リグレットは返礼として、シリスを救い出したのだ。
マリスの領地から逃げ出す時、空腹だったシリスは動けなかった。
このままでは彼女は逃げ切れないと考えたリグレットは領地から料理を少し盗み、それをシリスに食べさせた。
空腹を満たしたシリスはお礼として、感謝の意味も込めてリグレットにキスをした。
その時、シリスとの契約が成立したのだ。
実は、リグレットが盗んだ料理は元々、シリスに食べさせるため、生き肝を使って調理していたものだったのだ。
逃亡中、上に来ていた水玉模様のランジェリーが脱げてしまった偶然とあちらこちらにマリスの魔法円が描かれていた場所だったという偶然が重なり、シリスの桜色の魔女神としての覚醒とリグレットとの契約が同時に行われたのだ。
これにより、リグレットは紫の力と桜色の力の二つの異能を持つ存在となり、紫の力では不可能だが、桜色の力ではアエリスを倒す事ができるようになった。
リグレットにとっては親族、仲間の仇を倒すための力を手にした事になり、シリスにとっては自分を守ってくれるナイトと出会えた事になった。
二人はお互いにとって必要不可欠な存在となったのだ。
だが、リグレットにとっては理由はともかく、シリスも百人の犠牲の上でその力を手にした同じ魔女神であるという事は変わりがない。
そのため、素直に、仲間として認めにくいのだ。
だからこそ、ダーリン、王子様と浮かれるシリスと違い、リグレットは常にふてくされていた。
シリスはアエリスとは違う。
根は良い子だというのは理屈では解っている。
だが、感情として、アエリスと同じ魔女神という事実が彼女との溝を作っていた。
「ダーリン、こっち来てよ。お酌してあげる」
「いらん。そっちはそっちで勝手にやれ」
「えーっ……ダーリンがいないとつまんないよぉ」
「良いか、これだけは言っておく。俺はお前とはたまたま、目的がかち合ったから協力関係を結んでいるだけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「あたいにとって、あれはとらわれのお姫様を助けてくれた王子様なんだよ。お姫様はあたい、王子様はダーリン。とってもハッピーな事だったんだよ」
「俺は自分の元婚約者を八つ裂きにして殺そうと思っている残虐な男なんだよ。こんな俺とハッピーに慣れる訳ねぇだろ。ハッピーって言葉は俺の勘に障るんだよ」
リグレットにとって、【ハッピー】って言葉はアエリスの殺戮の時に浮かれていた自分の感情を思い出してしまうNGワードだった。
俺に幸せは似合わない――
俺はただ、復讐のために生きるのみ――
アエリスを殺した後、俺も……
リグレットはただ、それを考えていた。
自分は生きていても仕方のない人間。
そう自己分析していたのだ。
今、生きる糧はアエリスに対する絶対的な憎悪、怒りのみ。
他には何もない――。
それが、リグレットの思考を支配していた。
大切なものはすぐ側にいるのに、今はそれに気づけずにいる。
そんな不幸な男だった。
「リグレット、連れなくするなよ、可哀相だろ、シリスちゃん」
「こんな可愛い子に言い寄られているのに勿体ないとは思わねぇのか?」
店の客はリグレットの気持ちを理解していないのか、シリスの恋を後押ししようとする。
シリスの人柄はつい応援してあげたくなるような優しい気持ちにさせてくれるようなものだった。
シリスは純粋だ。
魔女神であるのが嘘のように――
悪い子では決してない。
それは解っている。
解ってはいるが、それを受け入れるだけの度量が自分に備わっていない事も理解していて、余計モヤモヤするのだった。
そんな事よりも、シリスを連れ出してしまったので、茶色の魔女神マリスの顔に泥を塗った事になってしまっているのだ。
いつ、その報復に来るかも知れない。
魔女神としてはまだ未熟なシリスの加護だけで、対抗出来るのかどうか解らず、もしかしたら、刺客との戦いでやられてしまうかも知れない。
仇であるアエリスを討つ事もできずに、全く関係ない魔女神との戦いで敗れ死ぬ。
それだけは絶対に我慢できなかった。
目的も果たせずに死にたくない。
死ぬのはアエリスを殺した後でだ。
それだけは譲れなかった。
リグレットの抱えた闇は深い。
登場キャラクター紹介
001 リグレット・ギルティー
本作の主人公。
元、婚約者でもある紫の魔女神アエリスによって親戚一同と仲間達を全員殺されて、アエリスに復讐を誓う青年。
復讐こそが生き甲斐と感じていたが、ひょんな事から桜色の魔女神シリスを助けた事から気持ちが変化していく。
紫と桜色の二種類の魔女神の加護を得ている。
002 シリス・パクッター
本作のヒロイン。
茶色の魔女神マリスに捕まっていたが、リグレットに助け出され、以降、彼と行動を共にする。
桜色の魔女神として覚醒するが、魔女神とは思えない程、優しい心を持っている。
何となく助けてあげたい気持ちにさせる女の子。
003 カルロス
リグレットとシリスが仮のアジトとしているバーのマスター。
本職は情報屋。
シリスを看板娘として雇っている。
分別のある大人としてリグレットとシリスを見守っている。
004 アエリス・ギルティー
リグレットの元婚約者にして紫の魔女神。
残忍な性格でリグレットの親戚や仲間をためらいなく惨殺し、その胆を喰らって魔女神となった。
どんどん力をつけて、中位クラスの魔女神に数えられるようになっている。
005 マリス・フカキツミ
元々、シリスを捕らえていただ、リグレットが彼女を助けた事により対立する事になった茶色の魔女神。
下位の魔女神の一人で配下を物のように扱っている。
中位の魔女神となるためにシリスを殺そうとしている。