第一話 身体の交換

00 カリル・カスクーナという少女


「カリル……本当に行くのかい?」
「え、ええ、まあ」
 カリルと呼ばれた少女がイルマ婦人に呼び止められる。
 カリルはイルマ婦人の親切に対して何だか居心地が悪そうな感じだ。
「今までの事、忘れたって言えば嘘になるけどさ。あんた、しっかり改心したじゃない。どうしようもない性悪女だったあんたが、真人間になったんだ、私は水に流すよ。他の人達だってさ、その内……」
「い、いえ、そんな訳にも……」
 カリルはイルマ婦人の親切をそのまま受け取ってこの町に居続ける事は出来なかった。 理由があるのだ。
 その理由は――
 カリル自身にある。
 カリルはカリルではない。
 カリルの身体には別の存在の魂が入っているのだ。
 イルマ婦人の言っていた性悪女のカリルの魂は別の身体に入っている。
 そう、現在、カリルの身体に入っている魂の元の身体に。
 つまり、カリルの身体に入っている魂はカリルに騙されて、無理矢理身体と魂を入れ替えられたのだ。
 元々のカリルの魂は取り替えた身体で悪事を働いているかもしれないのだ。

 カリルの身体に入っている魂の名前は超越者バルマセダという。
 この世の理を探求し強大な力を得ていたが、征服欲、支配欲、破壊欲などとは無縁の心優しき存在だった。
 だが、その才能に恵まれた身体に目をつけた者がいた。
 それが、この身体の持ち主、カリル・カスクーナという少女だ。
 性格が悪く、町の嫌われ者だった彼女は自分の邪心を実現化する身体を欲していた。
 そこで目をつけられたのが、細々と生活を続けていたバルマセダだ。
 色仕掛けを使って人を騙してとって来させた魂と身体を好感する秘薬を手に入れたカリルはバルマセダを騙して薬を飲ませて、自らも服用、お互いの魂が身体から離れた隙をついて、身体を入れ替えたのだ。
 気づいた時にはバルマセダはカリルの身体に定着してしまったのだ。
 バルマセダは途方に暮れた。
 男性である彼は女性の身体で生活する事には慣れていないし、身体を奪われた事によって力の大半を奪われた。
 事情を説明しようとカリルの住んでいた町にカリルの身体のまま訪れたが、町人達は白い目で彼(彼女)を見るだけだった。
 どうにもならないので、バルマセダはカリルの身体で少しずつ町人達の信頼を取り戻していった。
 今では数人は声をかけてくれるまでに信頼は得たが、カリルに身体を奪われて、すでに、一年が経過してしまっていた。
 バルマセダは元々持っていた知識から魂を交換してしまって時間が経ちすぎると交換した魂は肉体に定着し、切り離せなくなってしまうという事を知っていた。
 だから、カリルの情報を町人達から聞き出せるだけ聞いて、自分の身体を使っている彼女を追おうと旅支度を始めたのだ。
 それまでの話で、カリルという少女はどうしようもない性格だったというのは理解した。
 か弱い身体だった時は大した悪事は働けなかっただろうが、今は、バルマセダの強大なパワーを持つ身体を手に入れている。
 どんな愚行をするのか解ったものではない。
 元の身体の持ち主として、彼女(彼)の暴走を止めなくてはならなかった。

 ――便宜上、バルマセダの魂の入ったカリルの事をカリル(彼女)、
 カリルの魂の入ったバルマセダの事をバルマセダ(彼)と呼ぶことにする。

 カリルはバルマセダを追って、町を出た。
 非力となった彼女の冒険が始まる。


01 刺客と二つのトランプ


「やめてください」
 カリルは立ち寄った町の外れでごろつきに声をかけられた。
 ごろつきにとっては突然現れた色気たっぷりの女。
 出来れば関係を持ちたいと思って声をかけた。
 が、元々が男であるカリルにとっては気持ち悪いだけだ。
 自分は男だと説明しても見た目は完全に女性そのもの。
 ごろつきが信じる訳も無かった。
「姉ちゃん、嘘は行けないねぇ。あんたの両胸にぶら下がっているのは何だ?このそそるような腰つきは?」
「だから、私の身体じゃないんです」
「あんたの身体じゃないってんなら俺がどうしようと勝手だろう?」
「この身体は借り物なので、そういう訳にもいかないんですよ」
「まぁ、何でも良いから俺と気持ち良くなろうぜ。スッキリするぜ」
「しません。お願いですから私にかまわないでください。そんなことをしている暇はないんです」
「そんな言葉で俺が納得するとでも思っているのか?」
「納得して下さい」
「一晩でいいからよぉ。お互い後腐れなくってことで」
「だから無理ですってば」
「わからねぇ女だなぁ。黙って俺に抱かれりゃいいんだよ」
「……仕方ないですねぇ……」
「解ればいいんだよ、解ればさあ、行こうぜ」
「私の目を見て下さい」
「お安いご用だ」
「私とあなたは楽しい一時を過ごしました」
「うっ……あ、あぁ、気持ち良かったぜぇ」
「では、先を急ぎますんで」
「あ、あぁ、元気でな」
「失礼します」
 カリルはごろつきに暗示をかけて追い払った。
 彼女は力こそ非力だが、超越者バルマセダ時代に身につけた豊富な知識というものは今でも使える。
 ごろつきの一人くらいあしらうのは訳はなかった。
 数々の秘術なくしてバルマセダを追う事は出来ない。
 元々、秘術の探求者として生活していたカリルは少女の身でも新たに力をつけるための方法は自然と出来ていた。
 すぐにでもバルマセダを追いたいという気持ちを押し殺して、この一年間、カリルはその身体でも力が使えるように力をつけてきた。
 バルマセダを追う準備が整ったからこそ、彼を追って旅に出たのだ。
 そうでなければバルマセダの能力の前には為す術がない。
 元々の身体だったからこそ解る。
 あの身体に勝てる者などそうはいない。
 あの身体はちょっとした工夫でいくらでも強くなれるのだから。
 力の弱いカリルの身体では準備は十分以上にしてこなくてはならない。
 体感として、バルマセダの力は危険だというのは解っているからだ。
 まともにぶつかってもバルマセダには勝てない。
 絡めてでどうにかするしかないのだ。

 今は消えたバルマセダの情報を得る事。
 それが、第一の目的だ。
 見つけない事には話しにならない。
 少しでも良いからバルマセダに繋がる情報を探っていこうと必死になっていた。
 カリルは今まで立ち寄った少ない情報から、的確にバルマセダの痕跡を見つけていった。
 彼女は元々賢者としての素質がある。
 身体を奪われたからと言って、その素質が無くなるということではない。
 カリルはバルマセダの身体を手に入れた悪女が何をするのかを探っていった。
 カリル時代のバルマセダの行動から、女性に対して強い興味を持っていた事が解っていた。
 だから、男であるバルマセダの身体を奪う事に抵抗がなく、その身体で女性を抱きたいとでも思っていたのだろう。
 女の身体であった時から女癖が悪かったバルマセダは手当たり次第、口説いて回っているらしい。
 幸い、今は女の身。
 男には言いにくいことでも女同士の噂で、バルマセダの情報を得ることが出来るかも知れないとカリルは考えた。
 女同士の情報網で、男の所在をつきとめる事も可能なのだ。
 解っているだけでも数十人とバルマセダは関係を持っている事が調べていて解った。
 女の嘘という事もあるだろうが、もし、それが本当なら自分の身体で何てことをしてくれているんだと思うカリルであった。
 女癖だけじゃない。
 他の悪事もバルマセダの身体で行っていたら、元の身体に戻った時、その罪を償わなくてはならないと思うと気が重かった。
 関係を持ったという女性達の話しを総合するとこの一年、バルマセダは女性との関係を増やし続けていたらしい。
 そこでの寝物語で語られた事によると、バルマセダは新たな力をいくつか身につけようとしていて、それを女性達に自慢していたらしい。
 やっていることは野心を持つ男性そのものの行動を取っているバルマセダは元々男性脳を持っていたのだろう。
 逆に慎ましくを信条としていたカリスは今では女性の身体だ。
 なるべくして男と女が入れ替わった様な状況だ。
 だが、カリルは元の身体を取り戻したいと思っている。
 幼い頃より努力を重ね、力をつけてきた身体を邪な心を持つものに蹂躙されたくはない。
 例え、罪を背負う事になってしまっても元の身体で生涯を閉じたいと思っていた。
 それに、話していく内に、本当の事を言っている女性とそうでない女性の区別はついた。
 バルマセダと関係を持った女性には子宮の所に怪物の子種を植え付けられていた。
 嘘をついている女性にはそれがない。
 関係を持った女性は植え付けられた怪物の子種のせいで、バルマセダ無しには生きられない身体になっていた。
 元の身体の持ち主として、カリルは、遠隔魔術を使って、そっと、子宮に取り憑いた怪物の子種を除去していった。
 女性達には本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。
 相手をとっかえひっかえして、せっせと子作りをしているという事は二つのトランプの極秘術(ごくひじゅつ)を試そうとしているんだと推測がついた。
 丁度、カリルがバルマセダと出会った頃、バルマセダとして研究していたものの一つだ。
 バルマセダは研究中の術を利用して世界征服を狙っているんだという事が解った。
 カリルは二つのトランプの極秘術の人道を無視したやり方に気づき、人の目に触れない所に置いておいた。
 後で、この邪法を破る方法を研究してから二つのトランプの極秘術を記した書物は完全に消滅させてしまおうと思っていたのだ。
 自分が余計な研究をしなければ、バルマセダに奪われる事もなかったと後悔した。

 後悔先に立たず――

 とにかく、二つのトランプの極秘術を思い出す事にした。
 対抗策を練るのはそれからだ。

 この極秘術は煩悩の数、108を作るための術だ。
 スペード、ダイヤ、クローバー、ハートの1〜13までのカードを足すと52。
 それにジョーカー2枚で54。
 それをトランプの1セットとして考える。
 それが二つあれば108になるからだ。
 二つのトランプを結びつける絆は親子関係。
 二つのトランプの関係性は母親と子供という関係にある。
 つまり、男は54人の女性と関係を持ち、1人ずつ生ませればいいのだ。
 一つ目の非道な部分はその為だけに女性に子供を産ませるという事だ。
 二つ目の非道な部分は子供と言っても異形の子。
 人間とは呼べない。
 それが人の世の中で生きて行くことは出来ないだろう。
 生きられるのは裏社会くらいなものだ。
 子供の人生は生まれながらにして奪われているという事になる。
 三つ目の非道な部分は母親とその子供には一つずつ特殊な能力が与えられる。
 その能力は争いを生むだろう。
 四つめの非道な部分。
 それは、108人が確定した時点でその母子は用済み。
 その後、誕生する極超魔神インファマスに力を根こそぎ奪われ、命を落とすという点だ。
 インファマスが現れたらこの世は地獄に変わる。
 それだけは防がなくてはならない。

 また、考えたくはないが、極超魔神インファマスを召喚しようと思っているという事は他の極超魔神の召喚も企んでいる可能性がある。
 インファマスだけでも手に負えないのに他の極超魔神も出されたら収拾がつかないことになってしまう。
 極超魔神は核バランスのようなものとして、当時、カリルは考えていた。
 各国に配置して、無用な争いを無くすために考えていた平和の為の手段なのだ。
 だが、産み出し方が非道なものが多く、それを断念したのだ。
 導き出した者の責任として、極超魔神の封印に力を注いでいたが、それが悪女に利用されることになってしまった。
 だが、自分の愚かさを嘆いていても仕方がない。
 責任を感じて自らの命を絶ったとしてもバルマセダの暴走は止まらないのだ。
 放っておけば、この世は地獄に変わる。
 バルマセダを解き放ってしまった以上、カリルは自分で決着をつけないといけない。
 例え元の身体を失ってしまうことになってしまったとしてもだ。
 まずは、極超魔神インファマス誕生を全力で防ぐ。
 それだけだった。
 とにかく、バルマセダが認定した54人の女性を捜す。
 そして、子供を産む前に処理する。
 それを第一の目標にした。
 カリルはバルマセダと関係を持った女性達と会話を繰り返し、情報収集に勤めた。

 情報収集を繰り返すという事は逆にバルマセダに情報が入りやすくなるという事でもある。
 なにせ、情報を得ているのはバルマセダの虜になった女性達なのだから。
 それを上手く利用して、バルマセダの情報を聞き出しているが、聞けば聞くほど、バルマセダの耳にもカリルの情報が入りやすくなっていく。
 バルマセダの方もチョロチョロ五月蠅いネズミが何やら嗅ぎ回っていると思い、刺客を用意するのだった。

「ちょっと、お前、こっちこい」
 女性が一人近づいてくる。
 見た目から判断するのも失礼かも知れないが、およそ、礼儀正しいとは呼べない容姿の女性だった。
「あなたは?」
「人に物を尋ねる時は自分から名乗るのが礼儀ってもんだろ?」
「そうでしたね。失礼しました。私はカリルと申します」
 カリルはバルマセダの元の名前を名乗った。
 偽名を使おうかとも思ったが、もしかしたら、カリルの名前を出せば、何か解るかも知れないと思ったからだ。
 カリルとだけ名乗ったのは雲行きが怪しくなったら、悪女の本名、カリル・カスクーナではなく、カリル・レオーネとでも名乗り変えるつもりでいた。
 カリルという名前が同じなのはたまたまだという為だ。
「カリル……ねぇ……お前、ある人の事探ってんじゃねぇの?」
 女性は怪しい者を見るような目でジロジロと見てきた。
「はい。実は占いに凝ってまして、運命の男性と出会う為に旅をしています」
 もちろん、これは、カリルの方便だ。
「占いねぇ……」
「はい。占いです」
 カリルは冷や汗を流す。
 嘘など殆どついたことが無い人生を歩んできたので、嘘をつくという事がもの凄く悪い事をしているような気がして罪悪感に胸を痛めていた。
「トランプのカードを貰わないっていうなら、逢わせてやっても良いんだけどね。もし貰ったら私にくれるっていうならOKだよ」
 女性は提案をしてきた。
 その事からも二つのトランプの極秘術を使っているのはほぼ間違いないだろう。
 恐らくこの女性は二つのトランプの極秘術に選ばれた女性ではない。
 少しでもバルマセダにアピールしようと思って、カリルの様子を見てくる役を買ってでたのだろう。
 切ない女性なのだ。
 選ばれないという事は良い事なのですよと言ってやりたいが、今は説明することが出来ない。
 とにかく、バルマセダに会って止めないと話しにならない。
「トランプのカードですか?はい。わかりました」
 カリルはとぼけてバルマセダの元に案内して貰うことにした。
「ついといで。こっちだ」
 女性はカリルを案内する事にした。
 カリルはついて行った。
 十分くらい歩いた所に廃工場があり、その中に地下へと通じる扉があった。
「いいね、私が交渉したからあんたは着いてくる気になったって言うんだ。それが、条件だ。それが嫌なら帰りな」
 なんとしてもバルマセダに取り入りたいのだろう。
 いじらしささえ感じる。
 だが、バルマセダの中はカリルという悪女だ。
 この女性の事など毛ほども思ってはいないだろう。
 自分が動かなかった一年間で不幸になった人間は増えていった。
 この女性もその一人なのだろう。
 カリルは、少しでも早くこの不幸の連鎖を断ち切らねばと思うのだった。

 地下道を通ってしばらくすると上に通じる扉があった。
 その前には二人の女性が待っていた。
 恐らくは門番なのだろう。

「あの、連れてきました」
 女性は門番に話す。
 門番はトランシーバーで誰かと話す。
「ちょっと待っていろ」
 それだけ言われて、しばらく待つ事になった。

 カリルは待っている間も情報の整理と隠し秘術の構成を組んでいた。
 もしかしたら、ここで戦闘になるかも知れないと思ったからだ。
 二十分くらいすると上への扉から女性が一人出てきた。
 見るからに美人だ。
 バルマセダが手を出していてもおかしくない容姿だった。
「トレイシーさん、この女です」
 門番がトレイシーと呼ばれた美人に解るようにカリルを指さした
「ふーん……なかなかの美人さんねぇ。でも怪しいわねぇ。占いでって言っていたみたいだけど、あの方は自分のよくわからない力を嫌うからねぇ。どうしようかしら?……」
 舐めるようにカリルを見回すトレイシー。
 その視線からはカリルを認めようって気持ちは微塵も感じなかった。
 自分とバルマセダの間に割ってはいる邪魔物。
 そう、感じられた。
 バルマセダは美人と見れば手を出しているという訳ではなさそうだ。
 こうして、女同士のつぶし合いがバルマセダの悪事の進行を遅らせているというのも事実だろう。
 本来ならば、良くない事なのだが、逆にそのお陰で、一年間の間、トランプのカードを渡さずに済んでいたのかも知れない。
 だとすれば、どうするかをカリルは考えた。
 今まではバルマセダに言い寄ろうとしている女を装って、近づこうと思っていたが、どうもこの作戦は得策ではなさそうだ。
 ならば、仕切り直して、出直そう。
 そう考えた。
「あ、あの……また、日を改めて伺います」
 早々に立ち去ろうとした。
 ――が、
「黙って返すと思って?あの方に言い寄るゴキブリは排除しなくてはねぇ〜」
 敵対心むき出しの表情を浮かべるトレイシー。
「ぎぃやぁぁぁぁっ、な、なぜぇ〜っ」
 カリルを案内してきた女性を斬りつけた。
 敵だという事を認識するのに十分な材料だった。
 門番達は自分達は見ていないかというのを示すようにあさっての方を向いている。
 どうやら、ここで、トレイシーは新たな女性が増えるのを食い止めていたのだろう。
 案内して来た女性と案内されたカリルのような女性達を始末して、バルマセダには見つからなかったと報告していたに違いない。
 類は友を呼ぶ。
 悪女には悪女が近づくのだろうか?
 何にしても、この場を切り抜けなくてはならない。
「何をなさるんですか?」
 カリルは冷静にトレイシーに尋ねる。
 もちろん、求めている答えが返って来るとは全く思っていない。
 目的は多くを語らせる事。
 人は、言葉に性格が繁栄されていることが多い。
 もちろん、本心を押し隠しているという事も十分可能性として考えられるが、どういう考え方をするかというのが解るだけでも情報としてはプラスに働く。
 質問に答える答えないだけでも、人の話を聞く聞かないが解るという事だ。
 バルマセダに騙されるまで、カリルは人を信じる事をモットーにしてきた。
 だが、バルマセダに騙されてからは疑ってかかることも覚えたのだ。
 トレイシーは胸元からカードを一枚取り出す。
 見るとクローバーの8だ。
 やはり、極秘術の犠牲になっている女性だった。
 トレーシーの腹部を凝視する。
 探知系の秘術に反応が無い。
 子種を植え付けてからトランプのカードを渡す筈だから、反応がないという事は既に産んだ後のようだ。
 カードに確定されているから、彼女はバルマセダにとっては用済みなんだろう。
 彼女も相手にされなくなったので、新たな候補が出来るのを邪魔していたのだろう。
 彼女も愛に飢えているのだ。
 今できる事は彼女をバルマセダの呪縛から解き放ってあげる事だった。
 戦闘態勢に入るカリル。
 彼女も一年間、この華奢な身体で出来るだけの特訓をしてきた。
 こんな所で負ける訳にはいかないのだ。
 カリルはトレーシーと戦う事にした。

 すかさず、門番二人と傷つきうずくまっている女性には睡眠香で眠ってもらった。
 それを見たトレイシーは――
「へぇ〜敵で良かったんだ?まぁ良いか。どうせ始末するつもりだったし」
 と邪悪な笑みを浮かべた。
 トレイシーも身構える。
 カリルも警戒する。
 トレイシーがどんな能力を使うか解らないからだ。
 間合いをとって探りを入れるカリル。
 彼女の一挙手一投足まで注意深く観察する。
 対して、トレイシーは指先からもやのようなものを出して来た。
 それが彼女の能力なのだろう。
 このもやがどんな効果を持っているか解らない。
 解らない以上、このもやの中に身をさらす訳にはいかない。
 カリルは、風を起こす呪文を唱える。
 突風が地下道に吹き荒れ、もやを吹き飛ばす。
 もやが飛んだ先を観察すると土壁がドロドロに腐っているのが見て取れた。
 どうやら、腐敗効果のあるもやをだすのが、彼女の能力らしい。
 やってきた美女達をドロドロに溶かして処分していたのだろう。
 そう考えると恐ろしい女性だ。
 女の嫉妬はそこまでさせるのかと戦慄を覚えた。
 カリルはポケットから小さな銀玉状の玉が無数に入ったビニール袋を取り出す。
 その中からいくつか選び出し、それを全て潰して手で混ぜる。
 トレイシーの能力を分析してそれに対応するべく対処しているのだ。
 どんな能力を持っているか解らない敵が相手なので、カリルは様々な合成が出来るように、いろんな液体を一つ一つ玉に入れておいたのだ。
 相手の能力を分析し、それにより適切な効果のあるものを作り出す。
 それが、カリルが考え出した戦術の一つだった。
 カリルが作り出したもの……
 それはトレイシーの能力の逆属性の粘土だった。
 カリルは能力をプラマイゼロにして無効にしていこうと思っているのだ。
 見たところ、トレイシーは指先だけからしか能力が発揮出来ない。
 だったら、作り出した粘土で指先を埋めてしまえば、良いのだ。
 カリルは間合いを一気に詰めて、粘土をトレイシーの指先にこすりつけた。
「ふんっ、何がしたいの?」
 トレイシーはあくまでも勝ち気だ。
「あなたの力を無効化させていただきました」
 カリルが答える。
「なんですって?……あ……でない。煙が出ない……そんな……」
「その力はあなたを不幸にします。ない方が良い」
「ふ、ふざけるな。もどせ、もどせよぉ〜っ」
 絶叫するトレイシー。
 心の拠り所だった能力を失ったためだ。
 だが、この能力は持ち続ければ、極超魔神インファマスに全てを奪われミイラのような屍をさらすことになってしまう。
 能力と肉体を断ち切る必要があるのだ。
 能力は持ち続ければ、能力に栄養を吸われ続け、最後には死に至る。
 少しでも早く、決別した方が本人のためなのだ。
「坊やぁ、坊やぁ〜ママの仇を討ってぇ〜坊やぁ〜」
 トレイシーは叫ぶ。
 坊や――つまり、彼女が生んだ異形の子供の事だ。
「う゛ぼおおおおぉぉぉぉぉぉっ」
 それに呼応するかのように、不気味な音を立てて、怪物が姿を現す。
 全体のシルエットはタコの様だ。
 ただ、タコの足の変わりにクネクネと変形し、堅そうなもの、例えるなら昆虫の足のようなものがついている。
「来てくれたのねぇ、坊やぁ〜さぁ、あいつを倒し……ばっ……」
 トレイシーはその怪物を自分の子供だと言いながら、カリルを攻撃させようと近づいた。
 が、その怪物はトレイシーの首を吹っ飛ばした。
 その怪物は人の心を持ち合わせていなかった。
 絶命したトレイシーの遺体を足からバリバリと食べ始める怪物。
 いきなりの事だったので、カリルは対処のとりようが無かった。
 その怪物はすぐさま、カリルにも襲いかかってきた。
 この怪物がトレイシーの子供ならば、この怪物にも特殊な力があるはずだ。
 カリルはまた距離をとって観察をする。
 すると、怪物はタコスミのようなものを吐いた。
 ようなものというのはスミではなかったからだ。
 まるで、血のようなどす黒い赤い液体だ。
 それに触れた岩がまるで砂糖のように白くなって崩れ去った。
 これがこの怪物の能力なのだろう。
 カリルは戦慄する。
 当たれば致命的な能力だ。
 また、冷静に小さな玉をいくつか取り出し潰して混ぜる。
 カリルはそう多くの特殊能力を身につけられる身体ではない。
 出来る事は持ってきた素材を使って、能力の補充をして戦う事くらいしか出来ない。
 そうやって、バルマセダにも対抗するしかないのだ。
 カリルは同じように間合いを一気につめて怪物の口元に逆属性の土を放り込んだ。
 怪物は苦しみ暴れだし、崩れてきた天井の下敷きになって絶命した。
 勝つには勝てたが、カリルの初戦としてはなんともやりきれない幕切れとなった。
 悔しさを滲ませるカリルの表情はとても勝利した者の表情とは思えなかった。
 眠りから覚めた門番が戻ってくる前に、その場を離れた。

 情報不足のため、思った様な形で物事が進まないと判断し、出直しをする事にした。
 ある程度の情報はバルマセダと関係を持って、外に出てきた女性達を通して得ることは出来る。
 後は情報の真偽を確かめながら、少しずつ、バルマセダに近づくしかないと判断した。
 遠回りになるかも知れないが、ここで無茶をして、殺されたらそれこそ、全てが無駄になるのだ。
 失敗は出来ない。
 だからこそ、退く事を選択した。
 長年、様々な事柄を探求してきたカリルにとって、それが一番の近道だと判断したのだ。
 後は、気持ちの問題だ。
 焦る気持ちを抑えて、じっくりその時を待つ。
 それが、彼女のとるべき道だ。
 カリルはその場を立ち去る前に両手を合わせた。
 トレーシーとその子供の怪物の冥福を祈っての事だ。
 自分の軽率な行動が生んでしまった悲劇を悲しんだ。
 この事を胸に焼き付け、バルマセダを討つ決意を固めるのだった。
 カリルはバルマセダに対するには今の装備では足りないと判断した。
 一旦、元の町に戻って、準備を整えなおすことにした。
 死者が出た事でカリルは甘い考えは捨てた。


02 一期一会


 カリルは一度退いたが、バルマセダ側は黙っていなかった。
 トレイシーの死亡を察知した幹部達が自分も殺されるかも知れないと怯え始めたのだ。
 共通の敵を持つという事は団結を生むという傾向にある。
 バルマセダにカードを渡された女性達が力を合わせてカリルを倒そうと動き出した。
 数名ずつグループを組み、カリルを追って刺客として暗躍を始めた。

 元々の経験値の高いカリルは回りの空気が変わった事にいち早く気づいた。
 女性達への情報収集を早めに切り上げ、姿を消した。
 刺客の女性達は元々は素人だ。
 百戦錬磨の技量を持つカリルが完全に行方を眩まそうと思ったらそう難しくない事だった。
 カリルは一定の距離を保ちつつ、刺客の情報を探る事にした。

 まず、チェックする事は刺客同士は単独行動を避けているという点だ。
 これは個別の能力が絶対的な力をもっていないため、単独での戦闘に不安が残るためと推測できる。
 確実にしとめるためとも考えられるが、それまでの情報収集から、カードの持ち主達はお互いの存在をあまり認めていないようだった。
 みんな本心ではバルマセダの愛を一身に受けたいと思っているのだ。
 だけど、バルマセダに嫌われたくないから、他の女性とも表向きは仲良くしているのだ。
 抜け駆けは許さない。
 愛されるのはみんな一緒という心理が働いているようだ。
 だけど、いつかは他の女性を出し抜いてやる――
 今は新たにカードの持ち主となる者を排除していくだけ。
 そう思っている心理状況がうかがえた。
 足のひっぱりあいといった感じだろう。
 元々が男性であるカリルはその気持ちがよく理解出来ないが、それは男と女の気持ちの違いでもあるし、人によって考え方が違うという事でもある。
 また、これは刺客の大体のメンバーの考え方を推測しているのであって、人が集まれば、必ず、異なる考え方を持つ者は現れる。
 別の考え方をしている者も中にはいるだろう。
 見たところ、3人で動いているグループが2つ、後は4人と5人で動いているグループがあるだけで、後は動いている気配がない。
 4つのグループが動いているようだが、恐らく、スペード、ダイヤ、クローバー、ハートのマーク毎にグループを組んでいるのだろう。
 情報収集の時、どのグループの誰がと言っていたのを聞いていたので、グループ毎に評価されているのだろう。
 トレーシーはクローバーだったから1人欠員が出ている。
 クローバーグループは他のグループより必死でカリルを追ってくるかも知れない。
 会話からすると各グループに明確な上下関係は感じられない。
 ただ、それぞれが、自分の評価を上げようというようなやりとりが感じられた。
 各グループには1と11〜13番の番号を与えられている上級幹部がいるらしい。
 が、見たところ、それに当たるような女性は見あたらない。
 だとすると各グループの2〜10番までの番号を割り当てられた女性が刺客として動いているのだろう。
 実力的にみれば、トレーシーと同等程度というところだろう。
 正直、トレーシーの能力は脅威だったが、彼女の戦闘員としての実力はまるで大したことはなかった。
 刺客としては15人もいるが、上手く立ち回れば、カリルはあしらう事が出来るだろうと判断した。
 逆に、刺客の方は自らの能力と数の多さでの油断がある。
 自分達が負ける訳がないと高をくくっている。
 敵が過信している内に、戦力を削る事が出来れば、有利に働くと判断し、再び踵を返し、迎え撃つ事にした。
 トレーシーでの失敗は彼女の背後に子供がいたという事を失念していた事と彼女の心情を理解しかねていたという事だった。
 上手く、集団心理を利用して、自分の能力は無くなったけど、他の女の能力も無くなったと思わせれば、傷も浅いのではないかと考えた。
 だからこそ、一網打尽にする必要があった。
 誰かの能力は失ったが、誰かの能力は無事だったという事があってはならない。
 全員仲良く、その力を失ってもらう必要があった。

 ならば、どうするか?
 まずは、能力の分析が必要だ。
 トレイシーでの例しか見てはいないのだが、彼女はカードを出した。
 出したカードが能力に深く関わっているという事は推測がつく。
 カードを使って能力を発動させているという事は普段はそうではないと言うことだ。
 敵を迎え撃つ状態であれば、常に能力を使えるようにした方が安全だ。
 なのに、それをしなかったのは能力というのは身体に少なからず負担を強いるからだと思われる。

 カリルはなおもトレイシー戦を思い出す。
 トレイシーは能力を有効にさせてからは早々に決着をつけようと動いていた。
 戦闘を早く終わらせたいと思っているのかも知れないが、カリルを無力と侮っていた節があったのに、自分の能力の凄さを示して、優越に浸っていなかったのはただ単に戦闘が嫌いだったか?、それとも余裕が無かったか?
 どちらかは解らない。
 それとも全く別の理由があったかも知れない。
 何にしても、バルマセダは戦闘能力の高さを評価して、カードを渡している訳ではないのは解っている。
 選ぶ基準はどの女性も自身の美しさにプライドを持っている。
 つまり、バルマセダの好みの美しい女性を選んで虜にしているのだ。
 そのため、戦闘能力は皆無に等しい女性達が異能力を持って力を得ただけに過ぎない。
 例えば、暗殺のプロが彼女達を殺そうと思えば不可能ではないだろう。
 まともに正面からぶつかれば危険だが、そうで無ければ、大して気にとめる程の事でもない。
 カリルは暗殺のプロではないが、それと同等のスキルは持っている。
 カリルは暗殺はしないが、身体のどこかに隠してあるカードを掏りとる事にした。
 この一年で覚えたスキルの一つとしてメイクアップ術がある。
 女性として生きていく為には化粧も覚えなくてはならなかったからだ。
 と言ってもカリルは美しくなるという事よりも他人に見える化粧術を身につけていた。
 男性に綺麗に見られるという事よりも変装術としてのスキルアップを心がけていたからだ。
 それが、功を奏したのかカリルは別人に見えるようにメイクアップして、他人になりすました。
 カリルは地味な印象な女性、子供、老人、老婆、太った男性、盲目の女性、車いすの男性等々、変装を繰り返し、すれ違い様に鮮やかな手つきでカードを掏りとっていった。
 別のグループには同じ容姿でも近づけたので、なるべく少ない変装で行った。
 15枚のカードを集めて、カードを無効化する処理を行った。
 ここまでの処理はかなり短期間で行ったので、刺客の女性達がカードが無くなった事を知り、慌てる頃にはすでに15枚全て取り終わっていた。
 掏りとられた事が気づかれたら、とられた女性とそうでない女性が出てしまうので、時間との戦いだった。
 調べた結果、15枚の内、12枚が子供を産んだ形跡があった。
 つまり、3人はまだ、お腹に子供が宿っているのだ。
 怪物となる子供を産んでも待っているのは不幸な現実だ。
 だが、子供を産む女性の気持ちを考えると堕ろせとも言えない。
 手をこまねいている内に、動きがあった。
 刺客の内、3人の女性が子供を産み落としたのだ。
 スタイルからするととても子供を身ごもっていたとは思えなかったが、怪物は見えない次元に宿っているので、お腹の見た目はふっくらとはしないのだ。
 パッと見、身ごもっているかどうかは解らない状態になっていたのだ。
 怪物を産んだ女性達は恍惚の表情を浮かべる。
 既に怪物を産んでいる12人の刺客も我が子を呼び出す。
 が、次の瞬間、他の刺客の女性と共に、出てきたばかりの怪物達に食い殺された。
 時間にして、数秒の事だったので、カリルは反応出来なかった。

 またしても女性を死へと導いてしまった。
 怪物との親子関係を断ち切らなければ、怪物を呼び出したとたんに彼女達は殺されてしまう。
 どうやら、彼女達が敵を殺せという気持ちになるとそれに怪物が反応して、彼女達毎、敵を排除しようと動くようだ。
 何にしても、まずは、町中で出てしまったこの15匹の怪物を何とかするしかない。
 カリルは15匹の怪物達を上手く自分に引きつけ、海の方に誘導した。
 海でサーフィンをやっていた人が何人かいたが、それ以外の人達は怪物が現れた事によって蜘蛛の子を散らすかのように逃げていった。
 カリルは海に残っているサーファーを上手く、逃がした。
 彼女の体力では15匹の怪物と同時に戦う事は出来ない。
 カリルの狙いは軍の出動だった。
 カリルは怪物の能力の無効化に集中した。
 軍は正体不明の怪物が暴れていると聞きつけ軍隊を出撃させた。
 カリルは野次馬のふりをして、後方支援で協力して怪物を退治した。
 退治した後は泣きじゃくるふりをして、被害者を装った。
 装ったつもりではいたが、またしても犠牲者が出た事で嘔吐した。
 それがかえってショックを受けた女の子と認識されて、怪しまれる事はなかった。
 ――なかったのだが……
 この場は女のしたたかさで乗り切るしかなかったとは言え、複雑な気持ちだった。
 カリルの身体では、利用できるものは何でも利用していかないと立ち向かえないのだ。

 カリルは元々、この身体の本来の持ち主と違い、人の良い善人だった。
 だから、人の死には慣れていない。
 例え、異形の怪物の姿をしていようとそれは人として産まれてくる事が出来なかったものでしかない。
 彼女の中では人と変わらないのだ。
 自分の判断ミスから大量の死者を出してしまった。
「うっうっ……うぇ……」
 この事実が自分の中では受け止めきれず、嗚咽し、涙した。
 何が行けなかったんだ?
 何がこんな結果を招いたんだ?
 自責の念に押しつぶされそうになる。
 悔やんでも悔やんでも物事は好転してくれない。
 泣いても泣いても幸せはやってこない。
 悪女は自分の研究を利用して悪事を働いているのだ。
 自分で何とかするしかない。
 何も知らない人達では抵抗する術すら解らないだろう。
 自分で始末するしかないのだ。
 トレイシー達が死んだ時、人の死には慣れたと思いこんだ。
 でも実際には違った。
 慣れてなどいなかった。
 自分の弱さが、甘さが憎かった。
 死んで全てを忘れたい気持ちを我慢できなかった。

 カリルはその夜、首を吊ろうと思って、人知れず森に入り、縄を吊す木の枝を探した。

 上手く行かなかった。
 何をやっても人の死に繋がる。
 自分は生きていてはいけないんだ。
 鬱状態になり、枝に縄をかけた。
 その時――

「あんたが死んだって何もかわらないぜ」
 と言う声が聞こえた。
「だ、誰ですか?」
 カリルは辺りを見回す。
 あたりに人の気配はない。
 気のせいかと思って、再び、首に縄をかけようとした。
「何があったか知らねぇが、あんたはここで死ぬべき人間じゃない気がするのは俺の気のせいかね?」
 という言葉が。
 やっぱり気のせいじゃないと思って、注意深く見た。
 すると10メートルくらい離れた茂みに男が隠れていた。
「あなたは?」
 カリルは尋ねる。
「なぁに、しがないホームレスだよ。何もかも上手くいかなくて、町の人間から嫌われ、絶望した、ただの人間。だけど、こんな俺にも希望をくれた男がいた。あんたはその男と同じ光を瞳に宿している」
 ホームレスはそう答えた。
「その男って言うのは?」
「確か、バルマセダって言ったかな?少なくとも今のその男からは光が消えちまっているがな。代わりにあんたにその光を感じる。どうだい、驕ってくれたら、あんたの話相手くらいにはなってやれるが?」
 ホームレスの男は優しく笑いかけた。
 その顔は決して美しいとは言えなかった。
 だが、神の救いの手のように写った。

 カリルは店で酒とつまみを大量に買ってきて、森の中でそのホームレスと飲み、話した。
 ホームレスの男の名前はカルマノフ。
 大金持ちの跡取り息子として産まれたが、さんざん贅沢をして、人を裏切り続け、最後には裏切られて財産をだまし取られたという男だった。
 人の繋がりを大事にしなかったので、彼を助けてくれる者は居なかった。
 今のカリル同様に死を考え、苦しまずに死ねる方法を教えてくれそうだった、当時のカリル、バルマセダの元を訪れた事があるという。
 カリルにとっては尋ねて来た人の一人なのでカルマノフの印象にはなかった。
 だが、当時のカリル(バルマセダ)の言葉によって、カルマノフは命を拾ったという。
 因果応報――良い行いをし続けていたら幸せが、悪い行いをし続けていたらやがて不幸せがやってくる。
 どちらを選ぶかは本人次第。
 絶望のどん底にいてもかえってその立場だからこそ見えてくる事もある。
 人の人生は好調な時もあれば不調な時もある。
 そのリズムとどう付き合って行くかが大事なんだ……そう教わったそうだ。
 カリルは自分で言った言葉とは言え、その言葉が、自分に返ってくるのを感じた。

 カルマノフは結局はまだ、人に嫌われている事の方が多い。
 人に疎まれ、蔑まれ、時には石を投げられることもある。
 だから、彼は気配を殺す事を覚えた。
 生きるためには必要だったからだ。
 気配を消せたからこそ、人の気持ちの奥底に近づけた事もある。
 人の裏側を見続けて来たからこそ、その瞳に宿る人の本質に気づく事が出来た。
 彼は見た目には騙されない。
 カリルをバルマセダだと確信している。
 カルマノフはかつてのバルマセダと同じ光を瞳に宿すカリルに恩返しに来たのだ。
 彼女はここで、潰れるべき人間ではない。
 潰させるわけにはいかない。
 今は辛くとも必ず報われる時がくる。
 カルマノフの言葉がカリルの瞳に力を取り戻させていった。

 カリルはカルマノフと夜通し語り合った。
 辛かった事、悲しかった事、包み隠さず話した。
 突拍子もない話しも疑わず、彼は信じて聞いてくれた。
 カルマノフは黙って聞いて、優しく答えてくれた。

 カリルは今まで、一人で探求していた。
 何をするにも自己責任だと思っていたから、一人でいるべきだと思っていたからだ。
 だが、違った。
 人は助け合って生きていくべきなのだ。
 人は時には間違い、過ちを犯す。
 それを正してくれるのは近くに居てくれる誰かなのだ。
 一人では間違いに気づけない。
 人間は一人では生きていきにくい生き物なのだ。

「カルマノフさん、友達になっていただけますか?」
「あぁ、俺でよければ、いつでも相談にのるよ。俺はあんたに命を救われた。俺はあんたに返しきれないくらいの恩がある」
「楽しかったです」
「酒とつまみ、上手かったぜ。また、驕ってくれ」
「はい。私にとってもあなたは恩人です。ありがとうございました。本当にありがとうございました」
 そう言い合うと抱き合って別れた。
 嫌らしい意味ではない。
 お互いの存在を認め合い、お互いに感謝をするための抱擁だ。
 これは、一期一会の出会いかも知れない。
 だけど、これはカリルの人生にとってかけがえのない出会いだった。
 出会いと命に感謝をして、彼女は再び行動を開始するのだった。


03 バルマセダ


「バルマセダ様ぁ〜早くぅ〜早くぅ〜」
 下着姿の女性がバルマセダを求める。
「慌てるな、夜はまだ長いんだ」
 バルマセダはゆっくり近づき、女性を抱く。
 新たなる子種を植え付けるためにだ。
 二つのトランプの極秘術の完成まではそう遠くない。
 だが、恐らく、この術は自分を狙っているカリルの手によって阻止されるだろう。
 バルマセダはそれを直感的に理解していた。
 バルマセダだった時のカリルはこの上ない超天才だ。
 だからこそ、カリルだったバルマセダはこの身体を奪ったのだ。
 この身体に惚れ込んだからこそ、この身体を欲したのだ。
 バルマセダの情婦になることよりもこの身体そのものを欲したのだ。
 バルマセダは長年、カリルとしての非力な身体に嫌悪感を持っていた。
 いざとなったら男の暴力には敵わない事が嫌で嫌でたまらなかった。
 だからこそ、男になりたかった。
 男になって、好き放題、自由に暴力をふるいたかった。
 それが、幼い頃から思って来た事だ。
 そして、究極とも言えるバルマセダの身体を手に入れ、更なる高みを目指せる可能性も手に入れた。
 だが、なかみは邪法によって手に入れた無力な人間に過ぎない。
 華奢な身体になったとは言え、元々の素質を持っているカリルに追いつき、追い越されるのがたまらなく怖かった。
 圧倒的な力を持っているこの身体で直接手を下そうとも思ったが、身体を奪い返されるのが怖くて、カリルには近づけなかった。
 それは間違っていたとは思っていない。
 現に、カリルは16人の刺客と16匹の怪物を退けて見せたのだから。
 直接出向いていたら、自分も危なかったかも知れないのだ。
 だから、自分の判断が間違っていたとは思わない。
 出来るだけ、カリルには近づかない方が賢明だと判断しているからだ。

 実は、二つのトランプの極秘術は単なる、カリルを寄せ付けないための壁くらいにしか思っていない。
 術の成就による極超魔神インファマスの事もどうでもいい。
 また、カリルに知られてしまっている他の数体の極超魔神の事も同様にカリルとの距離を保つための道具としてしかとらえていない。

 これらは全て、カリルがバルマセダであった時に研究していたものだからだ。
 カリルが知っているという事は例え誕生しても彼女に排除されるという可能性があるという事だからだ。
 カリルが当時、関わったものでは彼女に敗れる可能性がある。
 だから、本当の目的のための時間稼ぎとして使っているのだ。
 バルマセダはとにかく、カリルが関わっていないもので力を手に入れたかったのだ。

 バルマセダが目につけたのは三つの秘失禁術(ひしつきんじゅつ)と呼ばれるものだった。
 太古の昔から秘密とされ、世に出る事なく、失われたとされる三つの禁術とバルマセダの研究していた書物にはあった。
 その書物には大変危険であったという事とそのため、世に出回る前に秘密裏に処理されたとされていた。
 バルマセダはその三つの秘失禁術を復活させようとしていた。
 その禁術を元々は行方不明者の探索に使っていた秘術を使って探していたのだ。
 探索の結果、細々とではあるが、三つとも口伝として残っている事を突き止めている。
 その情報をカリルの耳に入る前に手に入れ、口伝していた者を始末していた。
 つまり、この三つのの禁術に限り、カリルも対処法を知らないのだ。
 これを切り札として、バルマセダは本当の力を手に入れようと行動をしているのだ。
 二つのトランプの極秘術は目くらましにすぎないのだ。
 かつて強者だった弱者カリルはバルマセダの暴走を止めようと動き続ける。
 かつて弱者だった強者バルマセダはカリルを恐れ、逃げ続ける。

 奇妙な追いかけっこは始まったばかりだ。

 続く。






登場キャラクター説明

00 二人のカリル・カスクーナ
二人のカリル・カスクーナ
 この物語は悪女、カリル・カスクーナに肉体を奪われたバルマセダという超越者がカリルとして、バルマセダの身体を使って悪さをするカリルの野望を阻止するというお話です。










01 バルマセダ→カリル・カスクーナ
バルマセダ→カリル・カスクーナ
 この物語の主人公。
 超越者として、平和のため、様々な研究を繰り返していたが、ある時、悪女カリルに騙され、彼女との肉体と精神が入れ替わる事になってしまう。
 カリルの華奢な肉体を使って、自らをカリルと名乗り、自分の元の身体を使って悪事を働く悪女の野望を阻止するために動き出す。






02 カリル・カスクーナ→バルマセダ
カリル・カスクーナ→バルマセダ
 主人公、超越者バルマセダの身体を奪って、超人的な力をてにした悪女。
 バルマセダとして、世界征服を狙う。
 圧倒的な力を持つが、カリルとなったバルマセダを恐れていて、自分と関わらない所で亡き者にしようとしている。